映画とわたし
映画やドラマなどを見ていて、そこで登場している人が食べているものを食べたくなる事は時々ある。
しかし、かもめ食堂、めがねで出てくる食べ物は群を抜いて魅力的だ。
あの映画においてもしあれほどまでに食べ物をおいしそうに作れていなかったら、もしくは撮れていなかったら、あの映画のよさは半減していただろう。
そこにおいしい食べ物があるから、そこに流れている食べ物を味わっている時間の流れがゆっくりだから
あぁこの人たちはしあわせなのだと感じる事ができる。
わたしがおいしいとしあわせを同軸で感じたのは、この映画を見たからかもしれない。
それほどまでに魅力的な料理と魅力的な時間の流れだった。
私が求めているのはあの流れなのだと思う。
わたしは静かな喫茶店で、カフェではなく珈琲喫茶店で珈琲を飲むのが好きだ。
注文を受けてから、豆をひいてドリップしてくれる喫茶店に流れる時間、音、におい、その全てが好きで、その流れとよく似ていると思った。とても丁寧な時間。
物事を大切に扱おうと思っていても、日々の雑多の中で乱暴になり粗末になってしまう。
そしてそんな自分に気づくときとても落ち込み傷つく。
もっときれいな言葉で会話したいのに、そうでない言葉と内容に気づき傷つく。そしてわすれる。
気づいた後のほんの少しのときだけでもいいから、丁寧な日々を送りたい。
とりあえず明日は丁寧な日をすごすよう努力してみよう。
私の周りにもこの人は丁寧に毎日を過ごしているなと感じる人がいる。
同じような忙しさで、同じような時間のサイクルの中で
その人の時間はとても穏やかで気持ちのいい流れができている。
だから忙しさは関係ないのだと思う。ようは心持ひとつなのだ。
とりあえず明日から。